自分だけのモノサシを持つということ

学生の頃は「容姿さえ整ってれば」

会社員の頃は「上司から評価されれば」

独立したての頃は「お金さえ稼げれば」

かつて僕は、ずっと他人や社会のモノサシで自分を測って生きていた

足りない部分ばかりが目につくから、一生懸命に埋めていた

けど、埋めれば埋めるほど足りない気がしてしまう

海水を飲めば飲むほどノドが渇いてしまうように

心が干からびてカピカピになっていた

気づけば自分だけでなく他人までも、くだらないモノサシで測るようになっていた

あまりにも虚しい人生だ

この状態から脱するには、自分のモノサシを持つしかない

自分のモノサシを持つということは、自分の価値観を明確にするということ

「誰がなんと言おうと、自分はこれに価値を認める」と決めるということ

例えば僕だったら、「生きづらさを癒して希望を持つこと」に価値を認めてる

発信活動を通して、フォロワーさんの生きづらさをどれだけ癒せたか

コーチングやセミナーを通して、お客様の生きづらさをどれだけ癒せたか

自分のつくった音楽を通して、リスナーさんの生きづらさをどれだけ癒せたか

そこに価値を認めてる
そのモノサシで、自分の人生を測ってる

自分も含め、毎日1人でも生きづらさを癒して希望を持てたなら、僕の人生は成功してる

もし誰からも評価されなくても
もし満足なお金が稼げなくても
それでも「自分の人生は成功してる」と決めている

誰かが押し付けてくるくだらないモノサシは関係ない

埋めても埋めても足りないという焦燥感ももうない

カピカピだった心に自分で水を注げるようになって、気づけば昔より潤ってきた

同時に他人と接するときも、その人の価値観を尊重できるようになった

こんな風に、1人1人が自分の価値観に沿って、自分のモノサシで人生を測ればいい

それぞれの人生で成功すればいい

容姿がどうとか、評価がどうとか、お金がどうとか、人生の成功に一切関係ない

最近そんなことを強く思う

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