ずっと言えなかったコンプレックスの話

僕はリクルートに入りたかった。

大学4年生。
しぶしぶ就活をはじめたものの、自己分析が全くできてなかった。

やりたい仕事なんてなければ、好きなことも、得意なこともない。
唯一あるのは「すごそうな会社に入ってチヤホヤされたい」という承認欲求だけ。

リクナビマイナビに登録して、名前を知ってる会社に片っ端からエントリーした。
志望動機はググって出てきたものをそれっぽくいじってごまかした。

そんな浅はかな内容じゃ当然選考には通らない。
累計100社以上はお見送りになったと思う。

そんな中、やさぐれて行った飲み会で友人から言われた一言が人生を変えた。

「なるは人材業界とか向いてるんじゃないかな。なんとなく。」

根拠はないけど自分でもそんな気がした。
向いてる気がする。なんとなく。

そうと決まれば応募だ。

人材業界最大手のリクルートにエントリーした。

さすがにお見送りには懲りてたので、今度は自分なりに業界や会社のことを調べて応募した。

その甲斐あって書類は通過。
面接に進むことができた。

面接で話すリクルートの方々はもれなく全員魅力的だった。

とにかくエネルギーに満ちている。
自分の仕事について、人生について、子供のように目をキラキラさせながら話してくれる。

その姿は、就活に疲れていた僕に魅力的にうつった。

なにより、学生ではなく一個人として真摯に向き合ってくれるスタンスに感銘を受けた。

「この人たちと一緒に働きたい…!!」という想いが、選考が進むにつれて募っていった。
本気で入りたいと思える会社にはじめて出会えた。

ここしかない、もはやここに入るために今までさまよってたんじゃないかとすら思った。

迎えた最終面接。

序盤は順調だった。
面接を担当してくれた役員の方の質問に、テンポよく答えていく。

「これはイケる…!!」
心のどこかでそう思い始めていた。

次の瞬間、そんな僕の淡い期待は打ち砕かれた。

「あなたの強みを10個教えてください。」

そう質問されて、頭が真っ白になったのだ。

「じゅ、じゅっこ…!?面接で使う鉄板のやつと、予備で準備してたのを合わせても、せいぜい3個しかないでござるよ…」

それからのことはあまり覚えてない。

しどろもどろで5つくらい答えたところで、「もう大丈夫です」と止められた気がする。
白目むいてたんじゃないだろうか。

こうして僕はリクルートに入れなかった。

同時並行で受けていた転職エージェントに拾ってもらい、なんとか就活を終えたのである。

それから僕はリクルートコンプレックスをこじらせた。

リクルートから内定をもらった友人を心底うらやんだ。

SNSで”リクルート”や”元リク”の文字を見かけるたびに、そっ閉じした。

入社した転職エージェントの窓から見えるリクルートのオフィスビルを眺めては、「自分はあそこに入れなかったんだ…」とため息をついた。

経歴を話すときに”大手転職エージェント”とぼやかすのは、そんなコンプレックスの現れなんだと思う。

そんな自分に嫌気がさしていた。
こんなコンプレックスを抱えて社会人生活を送っていくのが悔しかった。

なんとかバネにしてがんばりたかった。

「自分の力でのし上がって、リクルートと一緒に仕事をしよう」

いつしかそう思うようになった。
そう思わないと前を向けなかったのかもしれない。

もう二度と新卒でリクルートに入ることはできない。
けれど、「なるとし」一個人として一緒に仕事をできたなら、自分を許せる気がしたんだ。

それが23歳の頃。

それから7年経って、まもなく30歳になろうとしてる。
この7年、本当に色々あった。

転職エージェントでも結果を出せなくて退社した。

徹底的に自己理解して、自分のやりたいことを明確にした。

仲間とサービスを立ち上げて、取締役として軌道にのせた。

そうして必死に生きる中で、「なるとし」として徐々に仕事がもらえるようになっていった。

そしてついに先日、リクルートの運営するサービスでセミナーをやることが決まった。

心底うれしかった。正直飛び上がった。

オフィスビルを眺めてたあの頃の自分に教えてやりたい。
お前ならできるよって。20代の間に自分を許せる時がくるよって。

一度は挫折して諦めたとしても、人生さえ諦めずに打席に立ち続ければ報われるよって。

できないことは諦めて、できることに集中すれば必ず道は開けるよって。

ここまで長文を読んでくださり、ありがとうございました。

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