【自己紹介】コンプレックスまみれで、苦手なことだらけで、とにかく生きづらかった。なるとしの人生

こんにちは!

なるとし(@naru_katada)です。

黒歴史にまみれた僕の人生を、全部ここに書き残しておきました。

トイレでヒマなときとかにぜひ。

 

簡単なプロフィール

名前:片田成俊(かただなるとし) 

仕事:株式会社ジコリカイ取締役

新卒で入った転職エージェントから独立してフリーランスのコーチとして働いた後、今は仲間と「自己理解プログラム」を運営しています。

やりたいことを仕事にしているので、毎日すごく楽しいです。

 

けどこれまでは、楽しくないことの方が多かったです。

そんな僕のざっくりした経歴はこちら。

  • 1993年   名古屋で生まれる
  • 小学校 中学受験のストレスでおデブ
  • 中学校 コミュ障すぎていじめられる
  • 高校  ヘビー級アイドルオタ
  • 浪人  躁うつ病で病院通い
  • 大学  遊びすぎて就活難民
  • 社会人 ADHDと診断され退職New!!

一言でいうと、コンプレックスと苦手にまみれた人生でした。

こじらせまくった時期もありましたが、今はありのままを受け入れ、楽しく生きてます。

僕の人生を見て「こいつでもなんとかなるなら、自分も…!」って思ってもらえたらうれしいです。

コンプレックスまみれでも、苦手なことだらけでも、幸せに生きられるよ。

 

小学校 中学受験のストレスでおデブに

小学4年生、教育熱心な家庭に生まれた僕は、気づけば中学受験のために塾に通ってました。

「良い中学に行きたい!!」とか思ったことは一度もなかったです。

ただ、塾に通ってると母ちゃんがおいしいご飯を大量に差し入れてくれたんですよね…!(ジュルリ)

それを食べられるのが圧倒的モチベになって、死ぬほど勉強して死ぬほど食ってました。

ボリューミー

おかげでブクブク太り、海にいけば永久に浮いていられるおデブに。

勉強したかいもあって愛知県1位の中高一貫男子校に合格し、最高にまるい状態で小学校を卒業しました。

 

中学校 コミュ障すぎていじめられる

自分がデブだと気づく

思春期まっ盛りのこの頃、自分がデブなことに気づき容姿にコンプレックスを抱きはじめました。(それまで気づいてなかった)

「イケメン なり方」とかでめっちゃググってたな。

ふてくされすぎな

そして僕には3つ上の兄がいるのですが、これがもうイケメンで。

当時、顔ちぇき!という顔写真を送ると似てる有名人を診断してくれるサービスがあったんです。

 

兄がやってみたところ、結果はキムタクと福山雅治。

僕がやってみたところ、V6のイノッチ。

機械にまで気を遣わせた感があって、切なくなったのを覚えてます。

イノッチもなんかごめん…。

 

そんな具合にコンプレックスをこじらせ、自信を失っていきました。

 

コミュ障すぎていじめられる

容姿への自信のなさが性格にも現れ、どんどんコミュ障になっていった僕。

人と目が合わせられず、大勢の人前なんて出たら脇汗びっしょりでどもりまくる始末。

めっちゃダイエットしたった

そんな感じだったので、クラスのジャイアン的なやつに目をつけられ、いじめられました。

たいしたいじめではなかったのですが、今でもよく思い出すのは文化祭前日の話。

お気に入りの財布が突然なくなり焦って探していたら、優しく声をかけてくれたジャイアン。

一緒に何時間も探すものの結局見つからず、その日は帰路につきました。

翌日登校すると、ジャイアンがニヤニヤしながら近づいてきます。

「片田、コレェ」

と言いながら僕の財布を見せてきたジャイアンを見て、すべてを悟りました。

自分で財布を隠しておきながら、1日中探すフリをしてあざ笑ってたんだと。

次の瞬間、完全にブチギレて「お前はぁぁぁああああ!!!」と叫びながら、ジャイアンの制服のボタンをケンシロウのごとく引きちぎりました。

あまりのキレっぷりにクラス中ドン引き。

文化祭当日はぼっちでずっと泣いてました。

その後、何かが吹っ切れた僕は主犯格のジャイアンの実家に電話を掛けました。

母親が出たので、

「おたくの息子にいじめられてるからマジやめて下さい」

と伝えいじめを強制終了。

よくやった。

 

高校 ヘビー級アイドルオタに

もういじめられまいとリア充に媚びまくる

脱メガネ

高校1年。

中学でいじめられた反動から、「どうすればクラスで浮かないか?」だけを考えるように。

その結果、スクールカースト上位の人にひたすら媚びまくるようになりました。

 

「片田、なんかおもしろいことやってよ」

というムチャ振りに対し、ワケのわからない一発芸を大声出しながらやる毎日。

楽しいときもあったんですが、常に「つまらない奴と思われてないか?嫌われていじめられないか?」と心のどこかでおびえてました。

ずっと笑顔だったけど、心から笑ったことは片手で数えられるくらいだったな。

 

男子校病をこじらせヘビー級アイドルオタに

高校2年。

男子しかいないムサくるしい環境で5年目を迎え、限界に達した僕はAKB48に目覚めます…!

推しメンは大島優子。

授業中も公演動画を見続け、大島優子の事を「オレの優子」と呼び、家庭科の授業では「コリス(優子のあだ名)」と書いたクッキーを焼いてほくそ笑んでました。

狂気のコリスクッキー

なけなしの1万をはたいてチケットを買い、授業をサボって名古屋から東京まで行き、やっとの想いで撮った大島優子との2ショット写メは今でもとってあります。

緊張しすぎて表情筋かたまった

いじめられまいと毎日媚びまくってた僕ですが、AKB48を通じてできた友達とはわかり合えた気がしてうれしかったんですよね。

アイドルが好きというより、友達と何かに熱中しながら、共に高まっていく過程が好きだったんだと思います。

と言い訳することが多いですが、もうどうしようもなくコリスが好きでしたね、ハイ。

 

浪人 対女性コミュ障からの躁うつ病

入学時は上から10番以内だった僕の成績は、卒業する頃には下から10番目まで転落。

かつて成績がよかった名残でプライドだけは異常に高く、ドラゴン桜の影響をモロに受けて「オレは東大に行くッ!!」と周囲に豪語してました。

有言実行で東大を専願で受け、センターで足切りをくらい浪人。

バカなのかな?

東大見学にて(この後足切りをくらうとも知らず…)

そんな浪人時代に、人生最大の逆境に立たされます。

女性とマジで話せなくなってることに気づく

駿台予備校に入った僕。

6年間の男子校の呪縛から解き放たれ、日常に突如「女の子」という存在が現れました。(白目)

しかし、画面の中の大島優子に夢中だった僕に、リアル女の子と話すのは荷が重すぎた。

以下に、対女性コミュ障エピソードをいくつか載せておきます。

  • 目が合わせられず、常に女の子の左斜め後ろ45度を見て話す。「何かあるのか?」と女の子は振り向くが、そこには何もない。
  • 2人きりになると話題に困りすぎて2分ほど沈黙。その後、「男性芸能人誰が好き!??」と唐突に切り込む。
  • そんな話題が続くはずもなく再び沈黙。耐えきれずに出てきた言葉は「今日、いい風吹いてるね」。

などなど、挙げればキリがないコミュ障っぷり。

かわいそう。

 

躁うつ病になり病院通いに

浪人生になってしばらく経つと、予備校の勉強にどんどんついていけなくなりました。

理系コースなのに、苦手科目は「数学・物理・生物」、得意科目は「英語・国語」だったのでそれも当然。

高校が7割は医学部に行く進学校だったので、理系でがんばれないと終わりだと思い込んでたんですよね。

 

成績が落ち込むにつれメンタルの余裕もなくなり、それが態度に出たのか両親ともギクシャクしはじめました。

それからは、朝起きたら両親と大ゲンカして家を出て、予備校をサボり喫茶店に直行。

机に突っ伏して1日中寝た後、家に帰ってまた大ゲンカ。

そんな毎日でした。

通っていた喫茶店

浪人生という名のニートと化してる自分。

プライドが許せないのでがんばりたいけど、なんでがんばるのかがわからない。

 

学生じゃなくなって自分と向き合わざるを得なくなった時に、中身がスカスカなことに気づいてしまったんです。

夢も目標もやりたいこともない。

あるのはしょうもないコンプレックスだけ。

 

そんな風に自己嫌悪に陥っていき、ネガティブな性格が後押しして、気持ちはかなり落ち込んでいきました。

次第に感情の起伏がなくなり、なんだか無気力な状態に。と思えば突然ハイテンションで騒ぐときも。

そんな様子を見かねて、ある日両親に「病院に行った方がいい」と勧められたのを覚えてます。

自分ではそこまでとは思ってませんでしたが、少しでも何か変わるのならと思い病院に行ってみたところ、告げられたのは「躁うつ病」だということ。

当時飲んでいたお薬

それから薬で治療をはじめたものの、うまくいかず不眠症を併発。

夜はカップ麺を6,7個食べまくり、睡眠薬を飲んで寝る。

ストレスでどんどん痩せこけ、あばらが浮き出てました。

 

情緒も不安定で、生活も危うい状態。

「自殺だけはしないで欲しい」と泣いてる母の声が耳に焼きついてます。

 

ちょうどその頃、大好きだったおじいちゃんが亡くなりました。

身近な人が亡くなったのは初めてで、疲れきった僕の心にもその出来事はかなり衝撃的で。

涙こそ出なかったけど、冷たくなったおじいちゃんに触れて「人って本当に死んじゃうんだな」と感じたのを覚えてます。

治療のために入った寮からの景色

その後、長いこと続けた投薬治療の効果が徐々に出てきて、年が明ける頃には気力が回復。

お風呂でふとおじいちゃんのことを思い返してたら、お葬式のときは出なかった涙があふれてきて、めっちゃくちゃ泣きました。

今思い返すと、やっと自分の感情を見つめる余裕が戻ってきてたんだと思います。

そのとき、「まだ諦めたくない。どうせ死ぬならやり切って死にたい。」って思ったんですよね。

 

試験は2ヶ月後に迫ってたけど、そこからは毎日死にもの狂いで勉強しました。

結果、慶應大学に合格。

合格発表の日に母親が号泣してたことを思い出すと、今でも泣けてきます。

親孝行しよ。

 

大学 遊びすぎて就活難民に

大学に合格して舞い上がった僕は、しんどかった浪人時代とはうって変わって、頭の中はお花畑。

入学前の春休みに遊び狂って、脳みそ半分くらい溶けてたんじゃないかと思います。

「テキトーに飲みサー入って、彼女つくって、ウェイウェイしたいぜ!ウェーーイ!!」

ホントそんな感じ。

バカなのかな?(2回目)

歌と出会う

新歓期はとにかく飲みサーを回りまくりました。

飲み会につぐ飲み会の日々。

髪型も茶髪パーマにして、「THE・大学デビュー」って顔してたな、はずかしw

THE・大学デビューーー

けど気づきました。

「あれ…?飲み会全然楽しくなくね?むしろキツくね?」

そう、いくら外見は大学デビューしても、中身は内気なままだったんですよね。

 

無理してまでウェイしたくなかったので、サークルマジどうしようと駅前をうろついてた時に、妙な人たちを目にしました。

なんか、やたら笑顔で楽しそうに歌ってる人たち。

アカペラサークルが駅前で路上LIVEをしてたんですね。

こんな感じ

それが僕と歌の出会いでした。

直感で惹かれてすぐに入ることを決め、そこからは歌漬けの毎日。

来る日も来る日も仲間と歌ってました。

みなとみらいで路上LIVEしてるところ

目立つのが大好きなくせにコンプレックスで抑えこんでた僕は、歌という表現方法を知って解放されたんです。

これまでのしんどかった経験、抱えてるコンプレックス、ぜんぶ歌で発散する。

それを聴いて、「歌ってるなるの笑顔見てると元気でる!!」って言ってくれる人がたくさんいて。

それがすごくうれしかった…!

笑顔をほめられたことなんて一度もなかったから。

1日に1回は「ねむいの?おこってるの?つかれてるの?」って聞かれるから、元気のない顔がずっとコンプレックスだったんですよね。

ありのままの自分が初めて許された気がして、中学からずっと失っていた僕の自信はちょっとずつ回復していきました。

そうしてむかえた執行代では、約500人のお客さんを集めて開くコンサートのリーダーに就任。

中高時代に30人のクラスの前ですらどもってた自分からしたら、100人以上のサークル員をまとめて500人のお客さんを集めるなんて想像すらできませんでした。

 

けどやってみたらできた。

苦手なことだらけで失敗も山ほどしたけど、できないことをできないとさらけ出してみたら、仲間が助けてくれたから。

強がってスゴい人ぶらなくても、無理しておもしろい人ぶらなくても、不完全な自分を好きでいてくれる人がこんなにたくさんいる。

コンサートをやり切って家でねむりにつくとき、心の底からそう思いました。

人前で自分を表現することの楽しさと、ありのままの自分で生きていいということを教えてくれたサークルに心から感謝してます。

ここで出会った仲間は、一生の宝です。

 

そして就活難民に

大学3年の冬。

サークルも引退し、周りが突然ESだインターンだリクナビだと言い始める。

焦って僕も就活をはじめるも、ここで疑問が。

 

「あれ、将来なにやりたいんだっけ?」

歌に打ち込んだはいいものの歌手として食ってく実力もなく、何やりたいのか考えるのマジで忘れてた。

バカなのかな?(3回目)

就活はじめたてで元気だったころ

とりあえず音楽好きだしエンタメ業界!なんか華やかつながりで広告業界!!と100社ほど応募してみるも、お見送り祭り。

面接で「なぜ弊社を志望したのですか?」と聞かれて、「なぜなんだ…?」と考えはじめるレベルだったので当然でした。

お見送られすぎてなえてるところ

4年の4月には先の見えない就活に嫌気がさし、OBとしてアカペラサークルにフルコミット!

そのコミットっぷりから、新入生からは現役と間違えられてました。

現実逃避でしかなかったんですが、その中で1つ大切なことに気づけたんです。

それは、歌も好きだけど、ホントに好きなのは「人」だということ。

 

自分が幸せに歌うことで、一緒に歌う仲間も幸せになる。

それが伝わると、聴いてる人も幸せになる。それを見た僕はもっと幸せになり…。

そんな風に自分の発信で、「人」にいい影響を及ぼしていきたい。

大学ではたまたまその手段が歌だったけど、それ以外でもいい。

「ならもっと直接人に関われる仕事しよ!」と思い、人材業界を4年の6月から受けはじめました。(遅い)

志望動機はあまり聞かれず、人生をひたすら深掘りされる人材業界の面接は相性がよく、トントン拍子で内定。

首の皮一枚つながった感すごい。

 

社会人 大手に入社するもADHDと診断されて独立

就活では白目むいてた僕ですが、2ヶ月に渡る新卒研修では全国の内定者約200人と社長役員の前でプレゼンをして優勝。

最高のチームでした

歌ってたら人前でのパフォーマンス力が上がってたんですね。

けどこれがいけなかった。

「オレ、もしかしてイケてる社会人になっちゃうんじゃね?」

という勘違いを胸に、社会人生活に突入します。

絶望的にマルチタスクができなかった

配属は希望していたキャリアアドバイザー配属。

転職したい人に対して、求人を紹介して転職を支援するお仕事。

めっちゃうれしかったな。

ただ、仕事内容が想像と少し違いました。

人の人生に向き合えるものの、その数が僕には多すぎたんです。

大手の転職エージェントだったので、担当する人は50〜60人、その一人一人が30〜40社受けている状態でマルチタスクの極みだったんですよね。

 

そして僕はマルチタスクが絶望的に苦手だった。

加藤さんから電話がかかってくると、どの加藤さんかわからずテンパる始末。

 

スケジュール管理もまともにできないし、1つの机にどうしても長時間座っていられない。

病院で相談したところ、ADHDと診断されました。

マンションの屋上でヘコむ僕

仕事ができなさすぎる自分に嫌気がさして、よくトイレにこもってました。

電気が消えるまで14時間以上働き、オフィスから見えるキレイすぎる夜景とみじめすぎる自分のギャップに泣きそうになりながら帰る毎日。

 

そんな僕についたあだ名は「のび太くん」。

入社前に思い描いてた「イケてる社会人」とはまさに対極。

どうものび太くんです

いつもPCメガネを掛けてるからついたあだ名でしたが、「仕事ができないからのび太君って呼ばれてるんだ…」と思い込むくらいには追いつめられてました。

苦手を克服しようともがき過ぎると、心も体もすり減ってしまうんですね。

毎日、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

 

自己理解にハマり独立

そんな中、僕は自己理解に出会いました。

キッカケはTwitterでたまたま見かけた八木仁平さん(@yagijimpei)のコーチングを受けたこと。

やぎぺーさん

この時、「自分にも得意なことがあるんだ。それを活かして仕事してもいいんだ。」とほんの少しだけ思うことができました。

のび太くんと呼ばれてた僕は、それだけでうれしくてうれしくて。

ズブズブ自己理解にハマっていきました。

 

その後Meeeラボという自己理解のコミュニティに入り、通勤中もインプット、ランチ食べながらインプット、休日もインプット。

さすがにアウトプットしたくなって、少しずつ友達に教えてみたり、ワークショップを開いてみたり、Twitterで発信してみるように。

はじめてのワークショップ

すると次第に、

「自己理解をもっと広めたい。自分のように生きづらさを感じてる人を1人でも減らしたい。」

そんな気持ちが芽生えるようになっていきました。

 

そのタイミングで徐々にお仕事の話もいただけるようになり、

「これにもっと全力を注いで独立したら、もっともっと悩んでる人の力になれる。」

そんな想いがふくらんでいきました。

ただ、すぐには会社をやめられなかった。

本気でやめようとしてはじめて、失うものの大きさが現実味を帯びてきて、正直めっちゃビビったんですよね。

せっかく大手入ったし…、稼げる保証なんてないし…、貯金だってないし…。

そんな声ばかり大きくなってきて、「2020年までにはやめよっかな〜」が口癖に。

 

けど直感は、今しかないって叫んでました。

きっと2020年にはこのワクワクは消えてるし、気力も体力も今より衰えて、背負うものだけが増えてる。

苦手な仕事にまみれながら「もし独立したら…」って妄想してる自分より、独立して大失敗して「やっちまった…」ってヘコんでる自分の方が愛せる。

そう思い、僕は独立しました。

 

なるとしのこれから

自分のように生きづらさを抱えている人を1人でも減らしたい。

これが、僕の人生の目的です。

そのために全力で働いています。

 

現在の活動はコーチング・情報発信・自己理解のプログラム運営が中心。

けど、もっともっといろんな手段で伝えたい。

それは音楽でも、文章でも、写真でも、動画でも、なんでもいいと思ってます。

ありとあらゆる方法で、少しでも多くの人に届ける。

その結果、かつての僕のように苦しんでる人の力になれたらこの上なくうれしい。

今はそんな気持ちです。

 

コンプレックスまみれでも、苦手なことだらけでも、幸せに生きられる。

「自分の容姿が嫌いすぎる。」

「他人とうまく話せない。」

「学校でいじめられてる。」

「精神的に病んでしまった。」

「仕事が人並みにすらできない。」

「生まれつきの障害がどうしようもない。」

 

僕はこんな生きづらさを抱え、コンプレックスをこじらせてきました。

苦しさの渦中にいる時は「なんで自分ばかり…」という気持ちが募り、幸せになれるかどうかは生まれた時点で決まってるように思えました。

そんな訳ないんだけど、他人のキラキラした部分ばかりが目に入ってきて、勘違いしちゃってたんですよね。

苦しい毎日が、幸せに繋がってるとはどうしても思えなかった。

だから僕は、めっちゃくちゃ幸せになった上で、自分のドロドロした過去を全部さらけ出します。

コンプレックスまみれでも、苦手なことだらけでも、幸せになれるって証明したい。

昔の僕のように苦しんでいる人に、自分の発信が届いて前を向いてくれたなら、この上なくうれしいです。

 

きっとまたつまづくだろうけど、うまくいくまでやります。

こんな僕ですが、よかったら応援してください!

僕もあなたのことを応援します。

 

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


写真:早川結希(右下にMeeeのロゴが入っている写真)

向井健人(最初と最後の章で使われている写真)

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